ほんの少しだけ 気持ち的に
楽でした 風が吹き巡ったから
でしょう
それでも 庭に降り立つ気には
なれません 運動をすることも
なく 部屋の中で暮らして
体が鈍るだけなのに それでいいの?と言う声も聞こえ
少しつらく なんだか悪いことをしたような気分にさせられる
身体が鈍る なまる
終戦記念日 戦争がないからこそ 好きなことが出来 自由に旅に出られ 美味しいものをいただく贅沢も味わえる 戦争! 嫌ですね この日 終わったといニュースは 疎開先の片田舎で聞きました というよりは 大人から戦争は終わったんだよと聞かされました なんだかよく解りかね 大人がほっとする表情が不思議だった事をうろ覚えに覚えています
遠い山の中 一つの集落に疎開して 初めは一人で 叔父や伯母と暮らし 何もかも自分でした日々 農業が忙しく 洗濯をしてくれる人もなく 一人で洗濯をこなし 預けられた家のお風呂の水汲みや鶏の餌やりが 与えられた仕事 それをこなすのが精一杯 戦争のことはよく解らなかった 親から離れて一人で暮らすことは 暗黙の内に了解していたみたい
もうあれから66年も日が流れたとは・・・・・あの当時の自分と今の自分を思うと なんと言うことだろう 言うに言われぬ不思議な感情にとらわれる
平和でありたい 戦争はしないと平和憲法を守ってきたけれど 今は原発の恐ろしさに身が震える なんとか事がこれ以上大きくならずに収束して欲しい なにも手助けできない ただ祈るのみ
昨日 歩いた伏見の町 フウセンカズラの話しをしましたが その力強い花が芽生えていたところから2〜3軒先の道ばたで見たペットボトルの羅列
よく見かけます 街の中で よそ様の玄関先で 植え込みの下で けれどそれは大抵1〜2本です 沢山並べてある情景には 滅多なことが行き当たりません
でも ここのは見てください 何本並んでいるのでしょう 数え様かと思ったほど 驚きました 玄関ドアーに横並びで 植え込み用にタイルを摘んで綺麗に造られています その中にペットボトルが 並んでいるのです なぜ?こんなに沢山なの? 植栽なさるか 草花でも植える予定ではなかったのかと ふと思いました 私でしたら きっと植栽しその足下に草花をあしらう事でしょう よそ様のことをとやかく言うつもりはありません 批判もしませんが 何か味気なく殺風景に感じました すぐ近くでは 細い隙間から顔を出した命に手を添える優しさが見られるのに なんだかとても淋しく感じました
どうなさったのでしょうね 初めからペットボトルを並べるために 綺麗にタイルを摘んで造られたとは思えませんから・・・・・・でも こんな事もあるのですね
我が家の玄関ホールの片隅に
置かれたホールチェアーの花束を・・・
花は勿論 造花です
白い花束を いただきましたので・・・
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