2010年2月23日火曜日

いくつになったのでしょう?

昨日より更に暖かく 春 
ぽかぽか陽気という感じ 
実際に気温はそうだったようです
家のすぐ横の桜並木を 
いつも眺めていますが葉を落とした枝が
道路の上まで張り出して 
ただ手を広げている 
そんな感じでしたのが 
今日は 樹が 広げた枝が何とはなしに
ピンクを帯びているように見えました
まだまだ蕾処の騒ぎではありませんが
桜の樹も きっと春を感じ始めていることでしょう
今日は 嬉しいのか 哀しいのか誕生日
一昔前よりももっと前 雪がしんしんと降る日に
その当時にしては 珍しく 病院で産声を 上げたそうです
2〜3日前から 雪が降り続き 寒い 冷えた日に・・・・・
もう何回 誕生日を迎えたというのでしょうか
自分で数え切れない程 嬉しかった日 哀しかった日 つい忘れた日
いろんな誕生日を迎えました
今日は 珍しく 相棒が ケーキを買って来て 祝ってくれました
夜は 自分が 出掛けねばならぬため 夕食を共に取ることが出来ないので
せめてものお祝いと・・・・・ でも その心は嬉しい
思わず ありがとうを連発しました
何年か前に実家に戻りました時に 私が 生まれる時の入院にかかった費用
その明細書というか 領収書みたいなものが 出てきました
そこには 暖房費として 炭火代が載っているのをみて
きっとすごく寒かったであろうなあ〜と感じました
しんしんと冷える病室に火鉢 赤く燃える炭 そこにのせられた薬缶
そこからのぼり立つ湯気 お湯が ちんちんと音を立てて沸いていたことでしょう
そんな風景を想像させる一枚の紙切れと一緒にあったもう一枚の紙
年月がたち 紙は黄色く変色していますが 種痘の接種済みの証明書 
大学病院の印と共に 医師の名前 年月日 私の名前などが記されていました
すごいなあ〜 大きな病院で生まれているのだ 今もある国立大学の病院で
病院で生まれたのは知っていましたが 名前まで知りませんでしたから
何か懐かしい気がしました
確か母親は 私を産む寸前に大きな病気をしていました しかもお腹に私を抱えて
ですから 母親は必死だったと思います 
なんとしてでも産みたいという 母の愛情がひしひしと感じられます
自分の命を引き替えにしてでもと言う決心で 産んでくれました
もし 弱気な母でしたら 現在の私は ここにはいないと思います
そんなことを考えると どれだけ感謝してもたりない程です
母も 私も 一所懸命 生きてきたと思います
数十年前に 母は 天国へ旅立ちましたが 一枚の領収書や証明書を見なかったら
母のことを当たり前に 産んでくれたように思ったことと思います
母の生きている時に それを見ていたらと 非常に残念に思います
でも 母の愛によって 神によって生かされている私
深い感謝と共に 大事に日々生きなければと・・・・・・
改めて思います
今は天国の何処かにいるでしょう 見守って下さいね 
これからも日々感謝の気持ちを忘れずに 生活するつもりですから
危うく命が 捨て去られるところを 必死の思いで産み育ててくれた母に
感謝 感謝 そして 幸せな今が あることにも・・・・・
すべて母の愛から生まれているのでしょう

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