2010年6月17日木曜日

明日香の村で〜狐が躍ったとは〜

梅雨の晴れ間と言うべきなのか
本格的な梅雨がまだ訪れていないから
ふさわしい言葉ではないかも
しかし なんと暑いのでしょう
気温は鰻登りでは・・・・・・
むせかえるような暑さの中
緑は濃さを増し たわわに繁り
美しいですね
その暑さの中 明日香へ案内役の
友人に再会 お礼と共に
ともに当時を忍び といっても
先週のことですが 懐かしい・・・
最初の日 昼食を三輪でいただき
三輪神社や大神神社 大鳥居などを
観たあと明日香へ・・・・・・
最初に訪れたのは 石舞台古墳へ
緑豊かな里山の中に・・・・・
昔は無料だったように記憶しているが
今は 木戸があり そこを通れば
入場料を払い・・・・・
石舞台へあがる
月夜の晩に石(天井石)の上で
狐が躍ったから石舞台と
呼ばれるようになったとか
この古墳は 封土(もりつち) の
上部が無くなり 玄室部の天井石と
側壁の上方が露出していて 天井石が
平たいので 古くから石舞台と呼ばれているらしい
すごい大きな石 ここまでどのように運んできたのでしょう
石は古墳の傍らを流れる冬野川の上流約3キロ 多武峰の麓から運ばれた
運ぶについては 冬 凍てついた氷の上を滑らせたとか・・・・
定かではありませんが かなりの多くの犠牲者が出たことでしょうね
被葬者は 古代この地で最大の勢力を誇っていた蘇我馬子というのが有力説だそうです
この天井石の下は空洞で 中に入れます
中にはいると 外の暑さとはかけ離れひんやりとしますが 中はかなり隙間があり
空が 外の景色が見えます 
中にじ〜っと立ちつくすと 怖くなってきます
阪神の地震を経験した人間にとって 地震が 大地震が揺すったらと
恐怖に襲われます
天井石を よくよく眺めると 人間が横たわっているように見えます
穏やかな顔つきの男性らしい・・・・・
静かに横たわる姿に見えます
どなたの墓なのかは ともかくも 自分の墓が観光名所になったら
どんな気分なのでしょう
今は 全くの無防備で・・・・・むき出しで・・・・・
1933年と1935年に発掘調査が行われたが その時 すでに遅し
殆どの埋葬品は 盗掘されていたとのこと
封土が剥がし 墓を暴くなんて 何かの恨みがあったのでしょうか
歴史のこと 特に古代のことなどはよくわかりません
案内してくれました友人は よく説明をしてくれ
友の意外な面を知り 驚き 感心しました
説明を 話しをしている時は なるほど なるほど よくわかったと思いました
だけど 家に帰ってみれば 情けないことに断片的にしか
記憶されてはいず 何処かに消えて・・・・・・
上手く文章が書けません とぎれとぎれの断片的で
一所懸命 聞いたつもりなのですが・・・・・・情けないこと
この後 ここでは前後していますが 川原寺跡 橘寺などへ
汗をふきふき 見て回りました(明日香の村で〜白い花〜で書きました)
どこもかしこも 昔のままの風情を残し 原点に返ったような心地でした
歳をとると こんなにも記憶力が 曖昧になり失われて行くのかと痛感しました
なさけないね〜 でも 仕方がないか〜 
でも楽しかった いい旅でした 僅か1泊2日の旅ですが
その充実振りに 驚き 感謝してます 

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