終戦記念日 70年
70年前は小学生 玉音放送があったようですが その時 何をして
いたのか ラジオに耳を傾けた記憶はゼロ
どんな思いだったか 心情だったのか まさになにも記憶されてない
春先から体調がおかしくなり 全然 動けなかった
一人で疎開 親戚の家に預けられた 終戦の前年の夏の終わりか
秋の頃か 記憶は定かではないが 右手の薬指がひょう疽にかかり
今と違って薬もなく抗生物質もなく 唯 包帯を巻いているだけ
なかなか治らず 冬なっても傷んだまま 冬のさなかは冷たい風に
さらすと 痛いこと 痛みで涙をこぼしていました
ズキン ズキンと胸をつく痛みは 四六時中 涙 なみだでした
近所に病院なんてありません また伯父も伯母も何も言いません
唯の怪我程度に思っていたと思います
風邪引き程度のことなら見て下さる医者はいたようです
町まで出るには1里以上の道を歩かねばなりません
長い月日がかかりましたが 春には完治 まさに自然治癒
その時にやっと家族一緒に暮らすことになり その家の蚕小屋で
親子共に暮らしはじめ お蚕さんと一緒の生活でした
その頃 ダウン 足の膝が痛い 化膿している 学校で転んだ記憶は
ありますが たいした様子ではなかったのに 動けなくなりました
母は傷の手当もしてくれました なのにダウン 風邪かと・・・・
とうとう 近くの村医者は 町まで行くようにと 母は私を背負って
町へ 遠い道のりです 1歳になる赤ん坊(弟)を抱えて・・・・
でも 診断は 悲しいものでした 病名はしりませんが もう駄目
と医者にさじを投げられました
母は どんな思いだったでしょう たんぼ道を歩きながら・・・・・
私は 今でも診察室の様子がくっきり浮かんできます
そんな頃に敗戦 日本が負けた 敗れた
元気溌剌として 駆けずり回っていたなら きっと8月15日の日を
記憶の中にとどめ またまわりの大人たちの態度 行動が なにか
残るはずなのに なんの気力もなかったのでしょう
なにもないと言うことは・・・・・・
そして私は 世の中が 落胆にくれている中 しかも 死を宣告され
たはずが 復活をしたのです
元気に・・・・・まるで全ての毒気が抜けたように・・・・
不思議です 本当に不思議
戦争はいやです あの思い 親と離れて暮らした 一人で洗濯もなに
もかもやった 戦後の食糧難には お米をもらいに田舎へ出かけた
幼いのに一人で たんぼ道を歩いて バスも無く そして 夜汽車に
乗って帰る 寂しさ つきまとう不安感・・・・・
今 世の中が 政治が 困惑気味
どの道が正しいのか よくわかりません
けれど国政的に見て 昔にカムバックしている気がします
あの戦前の時代に 戦争への道を駆け足で転がっているような
そんな気がします
政治のことも世界的な国情的なこともよくわかりません
どの道へ進めばいいのかも だが唯 唯 戦争は反対
核も反対 広島の惨状 長崎の悲惨さ
どちらも訪ねて つぶさに見てきました あってはならぬこと
平和を祈ります 微笑み交わすお互いでありたい
微笑みから平和は生まれます
なにもかも 地獄への道のような気がします
終戦 占領されそして独立 でも未だに占領されている部分が
見えない底で 占領されているのでは・・・
そんな思いがする時がある
平和を祈ります 平和!
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