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2010年7月5日月曜日

旅立ち

朝 目覚めて朝刊を取りに
郵便受けに手を入れると 
目の前を何かが飛び立った
なに?と 飛び去った方向を見る
蛾? 蝉? と首を傾げる
再び 新聞を取り出そうとすると
受けとり口のすぐ上に せみ殻が
今のは セミだったのかと納得する
今朝 脱皮したのであろう
今年 始めて見る殻
まだせみの鳴いているのは 耳にはしていない
もう鳴いているのだろうか たまたま耳にしないだけなのだろうか
まだ 梅雨は明けてはいない
早すぎるのでは この暑さに慌てたのだろうか 
セミといえば 3月頃 NHKで
放送されていた角田光代原作のドラマ
「八日目の蝉」を思い出しました
母になるには・・・・・ 女として生きるには・・・・
血のつながりを越えた母子の五年半にわたる逃亡生活 
愛人の子をふとしたことで誘拐 小豆島での母子の生活
そこに通う情 慈しみ育てた子との別れ
その引き裂かれる時 子どもが持っていた宝物が 手から滑り落ち転がってゆく
それは せみ殻
薫ちゃ〜んと叫ぶ育ての母
5回ぐらいの連続ドラマでしたが 涙が溢れました
見始めてすぐに原作も読みました 引き込まれ一気に読みふけりました
ああ〜 もう蝉の季節・・・・・
梅雨はまだ明けぬけれど 季節は巡りゆく
病院の帰り JRの駅からバスで
そして家の近くでバスを降りるとその足下に
アゲハチョウが・・・・・・
羽を休めているのかと思いましたが 
人が降り立っても飛び立つ様子がなく
よく見ると命 耐えていました
綺麗な蝶でした どうしたのでしょう
羽根が痛んでいるようには見えませんでした
寿命だったのでしょうか 
それともほかに原因が・・・・・
よく解りませんが そのままにして立ち去りました
彼らには彼らの世界があると思って 
なにも手助けしませんでした
いいか悪いかは解りませんが・・・・・
土の中に葬ってあげるべきだったかも でも 彼らの世界の掟に従うのが・・・・・
間違っているかな? 冷たいのかな? 
朝に 蝉の巣立ちを見て 夕方にはこの情景
一日に 始めと終わりを見詰めました 何かの縁でしょう
蝶の死は いつか解りませんが 死しても 美しいですね
旅立ちは 何処への旅立ちでも 美しくあるべきですね

2009年10月27日火曜日

夏の名残り

朝夕の気温がここ2〜3日
ぐ〜んと冷え 思わず寒いと・・・・・
昼間は 陽が射せばまだ暖かい
日も暮れようとしている頃
ふと眺めた教会の入り口にある植木鉢
宝塚デュランタの樹に 
蝉の抜け殻が逆立ちをして
前足でしっかりとしがみついていた
小さな樹 背丈は5〜60cm ぐらい
子どもでも容易につかめるところに・・・
暑い盛りには さぞ賑わいを
見せたことであろうに
しかし何故このような樹にと不思議に思う
教会の入り口に置かれた桶の鉢 毎年 季節によって植え替えをしている
それに桶の深さもあまりない 
そんな土の中で 幼虫は育ったのだろうか
蝉の幼虫は 土の中で数年から数十年はいると聞いている
また 土の中で樹木の樹液を吸って生きているはず 
樹木とは言い難い細いデュランタ それもその木を植え込んで
指折り数え切れないほどの年数は経ってはいない
でも この木の下で育ったのでしょう
どう考えても幼虫が歩いてくるとは思えない 
しかもコンクリートの上に置かれた鉢
何はともあれ しっかりと羽化したのでしょう
冷たい風が吹き始め 寒さに向かっている中 美しい姿で残っているとは
夏の暑い時 思いっきり青春を楽しんだことだろう
過ぎし日の暑い夏の日々が 心の中に彷彿として甦ってくる
楽しい夏 恋に破れて泣き明かした夏 子どもと戯れた海辺
また 子どもの時 母が 夜 蝉の幼虫を捕まえてきて
多分 庭の樹にいたのでしょう その蝉を 縁側に置くとその上にざるを
被せ 中がよく見えるように箸を棒代わりにたて ひとこと 
朝には 蝉になっているよ と 縁側にころんといる蝉を 熱心に見ていたこと
なんと和やかな時代だったか・・・・・
いろんなことが 甦ってくる
儚い 短い命を どのように過ごしたのか
人の命は あっという間に過ぎゆく
心して 過ごさねば・・・・・・と

余談ですが こんな歌を見つけました
蝉の抜け殻のことを 空蝉という この世 人間を意味する
「現身(うつせみ)」に「空蝉」の字を当て
「空蝉の」は「身」「命」「世」にかかる枕詞
命の短さから セミは 儚さにもたとえられる
  
  うちはへて音をなきくらすうつ蝉の
   むなしき恋もわれはするかな
      詠人知らず(後撰和歌集)