平和をつくりだすためにの旅に参加したのは98年8月末
残暑厳しい中 二日目は平和記念公園内の碑巡り 資料館(久保田
牧師の案内)平和記念聖堂内で被爆証言(服部節子さん)を聞く
その時の感想
〜前文略 この度の旅 久保田牧師の案内により碑巡りは 何処を
訪れても心の痛みが増すだけ 資料館など見た感想は 20代に
訪れた強いインパクトは 今回は薄れてかなり風化されていると感
じただけに 久保田牧師の解説をくみ取って深く考えていかなけれ
ばならないと思いました
核は人類を滅ぼさせる そのこと 広島の方達が体験したことを
ふまえて 平和の大切さと歴史の流れをくみとりながら歩んで行か
なければならないと強く感じた どんな小さな事でもいいから
スタートさせる そして手を取り合って生きて行く そして世界に
向かって常に訴えて行かなければならないと思う
また 久保田牧師の解説のことばで 原爆が落ちたそのことを喜ぶ
人間がいる 日本が滅びて解放されてよかったというアジアの人達
がいる そのことはある意味でショックでした
日本がアジアにとってきた歴史は話で知っていたものの その様な
考え方があったとは・・・それは歴史の1ページに葬り去るのでは
なく 日本人全員が考えて行かなければならない問題と 深く感じ
ました
高1の時に話してくださった先生は 今尚現在 お元気であると
知って この広島を訪れ 街を歩いて 巡って 見て 聞いて そ
の時が ほうふつとしてきて うれしく思いました
またいつの日か広島を訪れることが出来れば来たいと願っています
被爆樹 青桐の種というか花一輪いただいた その時心に過ぎった
ことは 作品にしたい 広島 原爆のそれらを思いに載せた作品が
作りたいと願いました 宿舎に戻ってすぐスケッチはしましたが
・・・果たしていつの日になるのか 心がそこへ向くように〜
この時 宿泊した世界平和記念聖堂の中のラサール館で
この聖堂は 日本人の設計ですが殆ど世界各地から送られたものに
よって建造されている 地下には小さな聖堂があり 当初24時間
平和のために祈り続けられた けれど川の多い広島は地下は湿気が
多く健康を害するシスターも出て 断念された
たくさんの考える課題が生まれ また平和を維持する難しさ 平和
とは 深く思い知らされた旅 よき旅でした
文章はその当時のままです
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